ココロの拠り所

くすぶっている人々にスポットライトを当てて「人生の主人公は自分」、そう思える人を増やしたい。逆境や失敗はバネにして、自分自身に問いかけながら前に進むためのブログ。

「普通であること」に違和感を感じる人に考えてみて欲しい。非日常って何だろう?

こんにちは!

居場所づくりをテーマに活動中の吉田です。

 

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4月から住むところ。

3月末に今の家の退去が決まっていて危うく家なき子になるところを助けてもらいました…

 

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先日開催した交流会

 

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 交流会からの帰り道

 

 

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京丹後を舞台に地域課題を解決するモデルを考えるプログラム。

福祉施設の職員さんにヒアリング。

 

 

最近してたのは、交流会、引越し、地方創生のアイデアソン、といった感じ。

引越しに関しては荷物が運びきれなそうだったり住むところ見つからなかったりだったけど、やっとその不安から開放されました。引越しって大変ですね、、

そんなこんなでやっとブログが書けました。

 

4月からは休学も終わり復学。この1年間で得られたこと学んだことを踏まえてこの先1年をどう過ごしていくかを設計中です。

 

ひとつ、テーマにしたいなと思うのは、”非日常”

 

普通に何かしててもつまらなさそうだし、非日常が好きなんですよね。

 

これはたぶん、人それぞれ違うはず。

あなたにとっての”普通”や”非日常”なものはなんでしょうか?

 

僕が思う非日常的なものはたとえば、

「できるかできないかわからない、絶妙なラインに挑戦すること」

「日常にはない空間」

とか。

 

 

 

出来ないことが出来るようになると楽しい

 

イメージは初めてのアルバイト。「働く」という初めての経験ですよね。

会う人もやる事も、それまでとは全く違う環境で、新しくできることを増やしていく。それって結構楽しいものだったんじゃないでしょうか。

 

僕は朝のファミレスでひたすらモーニングメニューをつくっていました。「朝なら任せろ!」って感じ。

 

あと、僕は特に、苦手だったものがちょっと得意なことに変わったり、解消されたりすると達成感があります。

 

3回生のときとかは、「人混みが苦手だから、人がめっちゃ集まるところで慣らそう、、!」と思い、やったのは音楽フェスの4泊5日住み込みのでスタッフをするバイトとか。約5万人の来場者数で、その後は実際に人混みが苦でなくなった経験があります。面白いデザイナーさんと一緒の部屋になったりして楽しかったです。

 

僕にとって”非日常”のひとつとして、出来ないことや出来ると思えなかったことが出来るようになる、実現する、そんなイメージ。

 

初めてのヒッチハイクで感じたこと

 

思い返せば、ヒッチハイクをしたときもそうでした。5時から初めて目的地に着いたのが22時半。

 

見知らぬ人と挨拶を交わして、目的を伝えて、乗せてもらう。

 

「まったくの他人とでもこんな風に話せるんだ」

「人って意外と優しいな」

「スケッチブックとペンだけでこんな距離を移動できるとは…!」

みたいな事を感じたり

見知らぬヒッチハイカーと出会って一緒に夜道を語りながら歩いたり

流れで僕のじいちゃんばあちゃんの家に一緒に泊まることになったり笑

 

そんな非日常的な経験でした。

 

移動距離は東京-大阪の約500km。

じゃあ、「一回成功したから、次は日本一周ぐらいするか!」となったかというと、、

意外にそうはなりませんでした。

 

なぜかというと、自分が今まで「周りから与えられてばかり」ということに気づいたからです。

 

見知らぬ自分を車に乗せてくれて、優しさにすごく感謝だし嬉しいけど、「乗せてくれた人に自分は何を与えられんたんだろう?」というのがわからなかったんです。

 

もともと、自分を変えようと思って臨んだヒッチハイクでしたが、これといって変わることは出来ず。その代わり「与える側になりたい」と気づけたのがこのとき得られたことです。

 

 

色んな人に非日常的な経験を提供したい

 

そんなことがあったので、僕にとっての非日常のひとつに、"自分が人を幸せにする側にまわること"があります。

 

それをどうカタチにしていこうか構想してるところですが、少々ハードルの高いことの方が目指してて楽しいだろうなと思ってます。

 

できるかできないか絶妙なところを攻めていきたい。

やりたい事があっても、妄想だけで終わったらつまらないし、かといって簡単なものをやっててもつまらない。最終ゴールは村づくり。

まだ未完成な部分もあるので、色んな観点を取り入れてやっていきます。

 

あなたにとっても、”こんなことができたら非日常的な感覚になりそう”というものがきっとあるはず。何が出来なくて、何を出来るようにできたら、テンションがあがるのか。

そんなことを考えてやってみると、新しい発見が増えるかも、、!

人生って面白い! なぜあなたの心は動くのか、、?

 こんにちは!居場所作りをテーマに活動中、吉田です。

 

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いつかの晩御飯。

キムチ焼きそば、もやしと鶏肉の炒め物で一食200円ぐらい。

自炊がんばろ…

 

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学生と地域の人とで一緒にやっている喫茶店におじゃましてました。

 

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 おととい開催していた交流会の様子

 

 

 

 

突然ですが、あなたはどんな時に心動かされますか?

 

たとえば、すごい感動するとか、テンションが上がる、とか。そんな場面がくるとき。

 

ぱっと思いつくのが映画とか。

 

あれってなんで心動かされるんだろう?と思いませんか?そこにはしっかりとした理由がありそうなんです。

 

 

ギャップやコントラストに人は惹かれる

僕自身もそうなんですが、そもそも人は”コントラスト”に惹かれるらしい。

 

前にTEDのスピーカーの話を分析した本を見つけてそれを読んでいたのですが、そこに書いていたのは、

「人はおのずと対極にあるものに惹かれる。」

「現在の姿と未来の姿とのギャップや

ある視点と別の視点とのギャップなど。

対極にあるものとを行き来することで、コントラストが生まれ、エネルギーが生まれる」

というもの。

 

なるほどなるほど。

 

確かに、振り返ってみると心動かされたり、面白いと思うのは、いつもそうでした。

 

僕が小学生のときは漫画が結構好きでよく読んでました。特にドラゴンボール、MAJOR、D.Graymanとか。(ドラゴンボールに関しては、好きすぎて小学生の夏休み期間に1巻から42巻を1日で読んでしまったことがあります。)

 、

その共通点として、

主人公が紆余曲折を経て、成長したり、なにかを成し遂げる

とかがあります。

 

これって実際に人の人生にも当てはまると思うんですよね。

 

漫画や映画はフィクションの世界だけど、リアルでも漫画/映画ばりに色んな経験をして面白く生きてる人っていると思うし、逆に今までパッとしなかったから、面白くしたい!でも全然良いと思います。

 

そんな風に考えると人の人生ってめっちゃ面白いと思うんですよね。

 

だから、

「人生なにがあるかわからないよね」

「そんな世界もあるんだ!」

みたいな発見を常にできたらめっちゃ面白そうじゃないですか?

 

同じことの連続だと刺激が足りない

違う人と会うとか、人がどんどんと(良い方向に)変化していくとか

そういった変化がないとつまらなくなっていく気がします。

 

人が漫画とか映画とかドラマにはまる、というのは、新しい刺激を求めてるからなのかもしれないですね。だから変化をつけたい。もし人生が映画みたいに進んでいけば、毎日が刺激的になるかも。 

 

もし退屈さを感じるときがあれば、色んな人とかかわりながら人の人生を映画みたいに捉えてみると、見方が変わって面白くなるかもしれないですね。

悩んだ分だけ、人は伸びる

おはようございます!

居場所づくりをテーマに活動中の吉田です。

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ミーティング時の1枚。机だけじゃよくわからないですね。。

 

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昨日買った「野菜たっぷり玉子春巻き」

半額でなければほぼ買うことの無いやつ笑

 

 

 「何もできない」

昨日、ミーティングをしているときに、ふと僕が1,2回生の頃って何をしてたかなーと思い出していました。

頑張ってたことといえば、

 

大学の勉強をまじめに頑張る

色んなアルバイトをする

就活イベント行く

情報系の国家資格を頑張ってとる

人間の臓器の変形をコンピュータで解析する研究をする。

(こういう表現をするとすごそうに聞こえますが実際にすごそうに言ってるだけで大して中身はありません)

 

みたいな感じでした。(サークル2つ掛け持ちしたり、遊んだりもしてましたが、、)

そのとき、なぜ頑張っていたと思いますか?

大きな理由は、

 

就職活動の面接で人事としっかり会話をする自信が無かったから。

 

です。

え?そんな理由で?って感じですよね。

 

履歴書を充実させられるような経験を積んでおかないと、それっぽい事を書けないと、人事の人とまともにしゃべることができないだろうから、人生やばいと思っていました。

 

それぐらい、”何もできない”と思っていたんです。

 

なんでこんなことを書いているかというと。

最近、大学生から「何も進んでない」とか「何もできない」

ということを聞いたりします。

 

でもそんなことは絶対に無いんですよね。

今はそう思ってます。

なぜかというと、僕自身「何もできない」と思っていたけど、実際できる事は見つかったし、大学に入ってからかなり見える世界も変わって、できることも増えました。

そんな経験があることも理由の一つですが、他の理由として

 

そもそも、そんなに悩んでるから。

 

その時点で伸びしろがあると思うし、その人は絶対に変われると思います。

今からできる事も必ずある。

 

伸びしろはめっちゃある

本当はどうしたいのか?どうなりたいのか?

明確か明確でないかはわからないけど、少なくとも潜在的にそういうことがあるからこそ、

”悩み”が生まれてくるんだと思います。

 

中には、

「何もできないなあ。でもこのままでも良いや」

そう考える人もいるはず。

でもその考えのままだったら、自分の持ってるものにも気付けなかったり、周りの情報にアンテナを張ることも、自分から何か新しいことをやってみることも、しないかもしれません。

だったらきっと何者にもなれない。

「何もできない」と考えてる今から1年経った後も、3年後も10年後も同じ。

「何もできない」ままです。 

 

たとえ、今は明確な理想像がなくても、表に出てないだけかもしれない。

ただ、何かを変えたいという気持ちがあるのなら、絶対に変われる。

 

世の中に「絶対」ということは無いので、100%というのは無いかもしれないけど。

ただ、その人の周りの誰もがそう信じてくれなくても少なくとも僕自身は、僕がつくるチームでは、そう信じたいと思ってます。

 

もし「できることが何もない」と感じてしまうときがあれば、誰かと一緒にぜひあなたの持ってる色んなものを見返してみてください。少しでもできることや、あなたしかできないことが見つかるはず、、!

"引きこもりたい時"ってあるよねという話

こんばんは!

居場所づくりをテーマに活動中の吉田です。

 

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4月から住む家を探し中

 

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ブログを書いてるところ。

最近、健康に良さそうなので豆乳をめっちゃ飲んでます。

 

ところで、あなたはこんな経験ありませんか?

「何か動きたくない。 動かないといけないと頭では分かっているけど…」

現在進行形でそうかもしれないし、昔そうだったのかもしれないし、わかりません。

今日はそんな人に向けて書いてみたいと思います。

 

人それぞれ

僕は今は学生なのでもちろん、普段接するのは学生がほとんど。

そんな中で、ガンガン動いてる人とも、そうでない人とも会います。

 

日々、高速でPDCAをまわしている人と会うと、「自分ももっと動こう!」と刺激になることもあります。

 

それとは対照的に

 

「何か、だらけてしまうんです」

「やらないといけない事があるとわかっているんだけど…」

 

みたいな話を聞くこともあります。

そんなときに思うのは、「人それぞれだよなあ」ということ。

 

引きこもることが悪いことだとはあまり思わない

こんな事を書いていますが、僕が今、”引きこもってて良い” と言い訳をしたり逃げ道を作りたいわけではないです。僕自身については、今は引きこもって良いわけがないし、ガンガン動き続けなければいけないです。

 

でも、他の人に対しては、「何かに踏み切ることに対して腰の重い時もあるよなあ」

と思うんです。

 

まだやりたい事が見つかっていなかったり、

個人的に何か辛いことがあったり。

“動きたくても動けない”、みたいなことは普通にあると思っています。

 

だから、人によるけど「動け!」とはあんまり言いたくない。

 

「宿題しなさい!」と親から言われたら何かやりたくない、となりませんか?

それと同じ感覚かもしれないですね。

 

動きたいときに動けば良い。

 

 

どんなに小さくても一歩は一歩

 

僕は、その人が0.000001mmでもいいから、

どんなに小さな一歩でもいいから、前に進めばそれで良いと思っています。

 

人生で、”どこまでいけるか”、は ”どこまでいきたいか” 次第で決めたら良いと思うので、周りがとやかく言う事はない気はします。

 

別に、30歳で夢が叶おうが、40,50,60歳で夢が叶おうが、構わない。

(「夢」というと、叶わない前提のようなイメージがあるんですけど、そこらへんは色々と考えがあります。これについて書くと長くなりすぎるからまた今度。。)

 

ただ、人生が終わるときが来たときに、振り返ってみて

“自分でOKをだせるかどうか”、は大事にしたいと思っています。

その時に「良い人生だったな」と思えるかどうかで後悔は生み出したくないなと思います。

 

色々と考えていくと、20代の過ごし方は大事だというのは間違いなく思うので、動けるだけ動いた方が良いとは思います。でも、そうしなければいけない、ということもありません。

 

成長は曲線的!?

 

人の成長って指数関数的に早くなっていくものだと思います。

だから、僕が人のサポートをする時は、そのタイミングを待ちながら、ベストな関わりをし続けるだけ。

 

とはいえ、いつまでも0.000001mmしか進まないという状況が続くことは無くて、どこかでスピードアップするということは信じています。

 

どこまで進めたいか

結局、考えてみると、何を目指して、そこに向かってどこまで進みたいか

ということに行き着きそう。。

 

例えば、電車にのってどこかに出かけるとき、

「何駅先までいこうかな」

「県をまたいでもっと遠くにいこうかな」

とか、

ゲームをするときに、

「どのステージまで攻略しようかな」

とかとか考えることと同じイメージかなと思います。

 

自分のスイッチは入れたいときに入れたらいいし、あくまでも自分がどうしたいか次第。

 

僕は、どんなスピードの人に対しても合わせられる人で在りたいのと、

良いスタートダッシュをきるための準備運動ができるような居場所をつくっていきたいと思います。

あなたにとっての正解は何ですか?

こんばんは!

吉田です!

さっきまで夜の大学のキャンパスでつらつらと書いていました。

 久しぶりの投稿です。

 

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4月からシェアハウスをするので物件を探し中

 

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 いつか忘れたけど夜に友達と食べに行ったラーメン

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賢者屋で今後のプロジェクトの作戦会議

 

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 久しぶりの自炊。ねぎ焼きとオムそば。家に最近住んでる友達につくってもらいました。

 

最近はそんな感じで生きてます。

uverworld の「ナノセカンド」が好きなんですが、その中で

「正解も不正解も無い」という歌詞が気に入ってます。

やりたい事をどうカタチにしていくか、とかそもそも何やるか、とか迷う事はあると思うけど、そんな相談に乗っているときにも基本的に正解なんて無いなと感じます。

 

ずっと誰かの用意した正解を探してきた

あなたは、勉強は好きですか?

僕は好きでは無いんですけど、どうやったらテストで良い点を取れるか考えて作戦を練ってやる事は好きでした。これをこれだけやれば80点ぐらいいくだろうという算段を立てて、実際にうまくいくと嬉しいんですよね。

今まで、中高大と両親の教育方針もあって、途中まで割とレールに乗ってきました。

「良い高校に行って、良い大学に入って、良い会社に行ったら、幸せになれるよ」

的なやつです。

そんな中で、誰かの用意した正解を出す、ということに慣れてしまっていた気がします。

 

でも、基本的に ”正解・不正解なんてない” と強く思う、、!

基本的には。。

 

ただ、少なくともこれは不正解だというのもあると思っています。

 

誰かが「これが正解だ」といったものを鵜呑みにしてしまうこと

人を信じる事は良い事だけど、いったん受け入れてから、疑う、というプロセスが必要だと思います。なぜなら、それが無ければ、自分の意思がなくなってしまうから。誰かの言うとおりにしている時点で自分の人生ではなくなってしまう気がします。

 

やりたい事が明確なときに別の方向に行ってしまうこと

例えば、ピアノの先生になりたい、という人が水泳の練習をしていたら不正解ですよね。

背筋も肺活量もピアノを教える分にはいらないです。

 

僕だったら、その人”らしさ”や”色”が出せるところまで成長することに貢献したい。

だとしたら嫌われないようにする事は不正解。

むしろ、嫌われそうなことでも必要ならおそれずに言う、というスタンスが正解だと思っています。どこか空回りしていた人が進みたい方向に向かっているのを見ると、嬉しいんですよね。

 

他にもあるかもしれないけど、ぱっと思いつくのはこんなところ。

何十年も経った後に自分の人生を振り返ってみて何を正解とするのか決めるのは自分。

 

ただ、結局考えたいのは、これからどうするかというところです。

 

今、何ができるのか

 

“基本的に正解も不正解も無い”

となれば、現状で一番正解だと思うものを選び続けるしかないと思っています。

 

僕自身も、今の判断に100%の自信があるかというとそんなことないけど、現状で一番、最善の選択をとり続けようと過ごしてます。

そして、その判断軸や仮説の精度というのはきっと磨くことができる、、!

 

少なくともそれができていたら、後悔は無くなると思う。

後悔しない意思決定をし続けてチャレンジできている間は、楽しいことも、辛いことも含めて幸せなんじゃないでしょうか。

人には、居場所が必要だ

こんにちは!

吉田です。

先日は1ヶ月ぐらい準備していた交流会があって、

当日は多少バタバタしてしまったけど、無事に終わりました。

 

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交流会の様子はこんな感じ。京都の古民家で開催することができました。

 

 

「話したい事を話せる、語れる」をコンセプトにしていたのですが、やってみて再認識したのは、誰と話すかが大事ということ。

 

たとえば、家族に話しづらいこと、友達に話しづらいこと、ってないですか?

周りが思っている今までの自分のイメージがあるからこそ、そこにあてはめようとしてしまう事ってありますよね。だから、何か自分を変えようと思っているときにそのことを話せない。

 

それに、その人との関係性が変わってしまったら、、と考えると不安。

特に家族だったら、どんなに時間がたってもずっと家族だし。

 

だからといって、何かについて、話したいけど話せないモヤモヤを抱えていたら、どうなるのでしょうか

 

仲間ができ

良いことも悪いことも、自分の強い部分も弱い部分も見せられるのが”仲間”だと思います。

良いところは認め、でも悪いところについても自己開示していく。

そうでなければお互いを尊重する気持ちが生まれなかったり、ただ褒めあうだけで表面的な関係になってしまうのでは無いでしょうか。

 

 

将来のことを考えにくい

何かが心につっかえた状態では、将来のことを考えにくいのではないかと思います。

たとえば、テスト勉強を全然してなくて「単位がヤバい!」というときに、テスト後に旅行に行く計画を練ったりするのはしんどいですよね。。

 

人間、色んな事を考えすぎると、いっぱいいっぱいになってしまうこともあると思います。なので、自分の中では大きなことだけど人に話せてない、ということはなるべく発散してしまうことで、ひょんなキッカケから一気に前進することができたり、ということも起きてくるはず。

 

 

 

思い切って話してみる

 

あまり打ち明けられなかった事を打ち明ける、思い切って話してみる

そんな経験をどのタイミングでするかによって、人生も変わると思います。

そこから一緒に何かに取り組める仲間を集められるようになったり、将来の方向性が定まったり。

僕自身、過去にそういうことがありました。「あの時の経験があったからこそ、動けたし、今の自分がいる」と今では思います。

 

だから、そんな風にキッカケを与えられる人も増やしたい。

 

 

とかとか、考えることは色々とありますが、精神的なものも、リアルなものも含めて、やっぱり思うのはこれ。

 

人には、居場所が必要だ

元 超ふわふわ系でもロジックが必要だと思った話

こんにちは!

吉田です。

2018年2記事目。

最近は、家に人がよく泊まりに来たりとか、そこでアイディアとか構想を共有することが増えてきました。

 

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昨日の晩ご飯は梅田の地下にある「ローマ軒」へ

量が多くてオススメ。

 

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この前は、縁あって知り合った大学生と色々とできそうだね、という話に。

 

 

僕の残りの学生期間もどんどんと減っているのですが、そこでふと 

"時間が解決してくれる"ということについて思うことがありました。

 

 

「時間が経てば良い方向に向うはず」

「何か問題があっても時間が経てば自然と解決される」

 

僕はそれに対して、本当にそう?と疑問に思います。

あなたはどう思いますか?

 

例えば、僕自身、途中まで大学生活がとても長く感じていました。春休み、夏休み、なんてまるまる1ヶ月ぐらいあるし。

「そんだけあれば何かやっていれば自然と何事もうまくいくんじゃないか。」

そんな気持ちで過ごしていたら

 

 

…何にもなりませんでした。

僕の場合は別に時間が解決してくれるってことは無かったです。

 

それって要は、考えてることに”ロジックの無い”状態だったと思うんです。

 

自分自身を振り返るとロジカルシンキングって元々苦手でした。。

というよりかは、あえてそうやって考える事を放棄していた気もします。

 

 

ロジックがちがちだと何か冷たい、、

 

あなたは、ロジカルシンキングは好きですか?

 

僕は、論理的なことに対してどこか冷たい印象を持っていました。

多分、幼少期の家庭環境も影響しているんだと思います。

 

例えば、論理的に考えたり、しゃべることに対して、「つまらん!」

という空気が、母・妹にあったり

(父はむしろそっちの方が良い派だったんですが、、)

そんなところから自然と超感覚派の人間になっていったんだと思います。

 

 

「論理的」なのは、「つまらない」から「面白い」に 

 

でも今はロジックがあることに対して面白いと感じます。

 

例えば、将来やりたい事について。

大学4回生途中ぐらいまで僕は超ふわふわとしていました。

「夢が見つかれば自然と叶うはずだ、、!」

というのが持論でしたが、

「本当にできる?本当にそう?欠けてる視点があるよな。。」

と、今では思います。

 

今は、その夢とかやりたい事を考え、それを実現するロジックを組み立てるのが面白い。

いや、それを組み立てるだけじゃなくて、実際にカタチにしていくこと。

カタチにできそうな時点でもそこそこ面白いけど、やっぱり結果として実現しないと面白く感じられない気がしています。

 

そんな感覚になってきました。 

 

論理的に考えてみることで気付くこともたくさんある

 

論理的に考えるようになって、色んなことに気付いたり、将来の設計をしたり、ということができてきたので、ロジカルシンキングに対する抵抗感もなくなったんだと思います。

 

きっと世の中には、しっかりと”考えれば”気付くことがたくさんあります。

 

人生の中で今はどういう期間なのか?

日本の社会はどう変化していくのか?

今、どういう状況におかれているのか?

 

などなど、考えてみるのも面白いです。

 

また、何か問題を解決するとか、実現したいとなったときに、

たいていの場合、意外とそのための時間は少ないんじゃないかと思うし、

そういう状況であれば、きっと論理的に考えてみることで気付けます。

 

もし

【何となく行動していたら時間が解決してくれる。うまくいくはず、、!】

というものがあれば、

これが

【こんな風に行動していたらこんな流れで実現できるはず。ああ、時間が足りない、、!】 

になったら。

 

それはそれで面白そうじゃないですか?

 

 

そんな感じで、今日は論理的な思考について思っていることを書いてみました。

 

もしあなたがふわふわしてると感じるときがあれば、ぜひ考える時間をとってみてください。筋道立てて考えることでモヤモヤがスッキリするかも、、!

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