ココロの拠り所

くすぶっている人々にスポットライトを当てて「人生の主人公は自分」、そう思える人を増やしたい。逆境や失敗はバネにして、自分自身に問いかけながら前に進むためのブログ。

なぜ、中途半端な意思決定をしてしまうのか

こんばんは

 

現在6時。夜行バスの中にいます。スマホからこのブログを書いているのでフォントの調整ができず若干読みづらいかもしれません。。

 

というのも、

22〜25日の間、東京に行っていました。

なぜ行っていたかというと、自分に足りないものを補うため。スキルとか目的意識とか。持っている人に会おうという事で東京に行っていました。

  

それはさておき、更新が2日できていませんでした。自分で20日以上続ける、という目標をたてておきながら達成できず、、

やると言っておきながら口だけ。。

おい吉田、そんなんで良いのか、、! 

 

いつ書くのかを決めていなかったのと、1日の学びや気づきをまとめる、整理する時間をつくっていなかったことに原因がありそうです。

 

今回自分でやると言っておきながらできなかったことも含めて、前回お伝えした通り今日は失敗経験を書いていきます。最近、僕がうまくいかなかったことの根本に何があるのか。もしあなたが同じものを抱えていたら、これから読み進めてもらうとお役に立てるかもしれません。

 

 

ということで、今日のテーマは

選択とそれに伴う責任を負うこと

について。

 

 [目標を達成できたかどうかは自分だけの問題?]

 

 web上で20日発信する、という目標が例えば、

周りの5人と一緒に朝活を20日する、というような類の目標だったらどうでしょう?

 

その場合、明確に"他者"が関わっていませんか?

 

スポーツでもそうだと思います。

個人が目標を達成できたかどうかはチームの目標に影響する。

プロ選手ならそれによって試合を見にきてくれるお客さんやその数に影響する。

 

だから練習をサボる選手だっていませんよね。

 

[目標を達成するための意思決定にも責任を感じること]

 

僕たちが意思決定をして、周りに影響を及ぼすとき、

それに対して責任が生まれていると思います。

 

ずっと自己完結するような生活ならそれでも問題ない。

でもそうではなくて何かしたい。周りの人、どこかの誰かに対して、世の中に対して、何らかの良い影響を与えたい。

この記事を読んで頂いてる方はそういう人なんじゃないかと思います。

 

人生は選択する事、意思決定する事の連続です。

 

例えば、あなたが小学生の頃であればそこまで主体的に意思決定する場面は多くなかったかもしれません。

お父さん、お母さん、学校の先生が言っていることを聞いて大体その通りにしたり。

 

でもこれからは自分で全て意思決定していきますよね。しかも他者が大きく関わってくる。

そしたら例えば、誰かを救いたい、と思ってアクションに移すのなら、それに対して責任を持つべき。本当にそれって相手を救えてるの?と問いかけながら。

自己満足と価値を与えることは混同してはいけないです。

 

 …自分で書いてるのに、耳が痛い…

 

僕はどこか、自分でする意思決定に対して責任を持つ事が怖かったんです。本当にこれで相手のためになっているのか、と。でもそんな感情に流されるんじゃなくてベストな選択肢をとり続けるしかない。それと同時並行で判断力も上げていくこと。

 

例えば、サッカー日本代表選手でも、サッカー始めたての頃はどこにパスを出すとか、どうやってシュートまで持っていくかとか、わからなかったはず。それでもチャレンジし続けて正しい判断力が養われていったと思います。

 

あなたが

今日、明日、明後日、とこれからする一つ一つの選択で、責任持って最善を尽くすことができれば、

あなたが達成したいゴールにぐんと近づくのではないでしょうか。