あなたにとっての正解は何ですか?
こんばんは!
吉田です!
さっきまで夜の大学のキャンパスでつらつらと書いていました。
久しぶりの投稿です。
4月からシェアハウスをするので物件を探し中
いつか忘れたけど夜に友達と食べに行ったラーメン
賢者屋で今後のプロジェクトの作戦会議
久しぶりの自炊。ねぎ焼きとオムそば。家に最近住んでる友達につくってもらいました。
最近はそんな感じで生きてます。
uverworld の「ナノセカンド」が好きなんですが、その中で
「正解も不正解も無い」という歌詞が気に入ってます。
やりたい事をどうカタチにしていくか、とかそもそも何やるか、とか迷う事はあると思うけど、そんな相談に乗っているときにも基本的に正解なんて無いなと感じます。
ずっと誰かの用意した正解を探してきた
あなたは、勉強は好きですか?
僕は好きでは無いんですけど、どうやったらテストで良い点を取れるか考えて作戦を練ってやる事は好きでした。これをこれだけやれば80点ぐらいいくだろうという算段を立てて、実際にうまくいくと嬉しいんですよね。
今まで、中高大と両親の教育方針もあって、途中まで割とレールに乗ってきました。
「良い高校に行って、良い大学に入って、良い会社に行ったら、幸せになれるよ」
的なやつです。
そんな中で、誰かの用意した正解を出す、ということに慣れてしまっていた気がします。
でも、基本的に ”正解・不正解なんてない” と強く思う、、!
基本的には。。
ただ、少なくともこれは不正解だというのもあると思っています。
誰かが「これが正解だ」といったものを鵜呑みにしてしまうこと
人を信じる事は良い事だけど、いったん受け入れてから、疑う、というプロセスが必要だと思います。なぜなら、それが無ければ、自分の意思がなくなってしまうから。誰かの言うとおりにしている時点で自分の人生ではなくなってしまう気がします。
やりたい事が明確なときに別の方向に行ってしまうこと
例えば、ピアノの先生になりたい、という人が水泳の練習をしていたら不正解ですよね。
背筋も肺活量もピアノを教える分にはいらないです。
僕だったら、その人”らしさ”や”色”が出せるところまで成長することに貢献したい。
だとしたら嫌われないようにする事は不正解。
むしろ、嫌われそうなことでも必要ならおそれずに言う、というスタンスが正解だと思っています。どこか空回りしていた人が進みたい方向に向かっているのを見ると、嬉しいんですよね。
他にもあるかもしれないけど、ぱっと思いつくのはこんなところ。
何十年も経った後に自分の人生を振り返ってみて何を正解とするのか決めるのは自分。
ただ、結局考えたいのは、これからどうするかというところです。
今、何ができるのか
“基本的に正解も不正解も無い”
となれば、現状で一番正解だと思うものを選び続けるしかないと思っています。
僕自身も、今の判断に100%の自信があるかというとそんなことないけど、現状で一番、最善の選択をとり続けようと過ごしてます。
そして、その判断軸や仮説の精度というのはきっと磨くことができる、、!
少なくともそれができていたら、後悔は無くなると思う。
後悔しない意思決定をし続けてチャレンジできている間は、楽しいことも、辛いことも含めて幸せなんじゃないでしょうか。