「楽しいんだけどどこか寂しい」そんなあなたはこれを失くしてはいませんか?
こんばんは!
最近やってること。まだあんまり出せないけど写真載せておきます
寂しさの正体ってなんだろう?
あなたは最近、”楽しいんだけど寂しい・物足りない”
なんて気持ちになることはないですか?
それって大学生ならではかもしれません。
繰り返すけど、楽しくないことはないんだと思います。
普通に友達とご飯に行ったり、遊んだりもする。
他にも、サークル、旅行、遊園地、、
でも、「なんか物足りない…」
そんなモヤモヤをモヤモヤのままにしていると
「あの時、あれをすれば良かったな」
って後から思い返すことになってしまうかも。
振り返って本当に大事にしたかったことに気づく人はきっと多い。
人は何かきっかけがなければ、流されてしまう・惰性で進んでしまうものだと思います。
王道の人生のルートみたいなのが、別に学校で教えられたりするわけじゃないけど、ある気がしてしまって「とりあえずこう進むことになっているんだろうな」みたいな。
「とりあえず」「なんとなく」
じゃなくて、今、考えられることを考えるのって大事だと思うんですよね。
解決策は「ご飯できてるよ」的なやつ
小さい頃と比べて
幼少期は比較的楽しい記憶が多いと思います。例えば、公園で鬼ごっこして、秘密基地作って、なわとびして、とか。人はポジティブな記憶が残りやすいそうなので。
もちろん大学に入ってからも新しく楽しいことは増えますね。
・お酒が飲める
・時間とお金の自由度が増える
・生活のリズムを自分で決められる
とかかな
反対に、大学に入ってから失くなりがちなものって何かと言えば
”挨拶”と”思いやり”
なんじゃないかと思います。
『挨拶』と『思いやり』は身のまわりにありますか?
授業が一緒になって「おはよう」
とか帰るときの「じゃあね」
っていうのはあると思うけど、
家にいたときにあった
「いってきます」「いってらっしゃい」
「ただいま」「おかえり」
「いただきます」「ごちそうさま」
は一人暮らしとかだとなくなるだろうし
帰る時間は自由だし、バイトして自分の生活は自分で管理できるけど、帰るのが遅くても待っててくれるとか、家に帰ったらご飯を作ってくれてる、ってこともないですよね。
もし、家にいたとしても、家族と喧嘩とかをすると、そういう挨拶が少なくなりがちなんじゃないかと思います。そういうときは窮屈さを感じませんか?
挨拶ってそもそもどんな役割なのか、というと
出会いや別れの際のやりとりだったり、相手に対する敬意や感謝を表す言葉や行為のこと。
らしいです。
実際、挨拶があることもそうだし、言葉にしなかったとしても家に帰ったらご飯を作ってくれているようなことがあると、「気にかけてくれてるんだな」と感じられて温かい気持ちになるんじゃないかと思います。
そう考えると、人の温かさというのは家族みたいな関係性であり、それは挨拶や思いやりで作られるものなのではないでしょうか。
地元が好きだったことには出てみてから気づく
地元を出てから久しぶりに帰ると、なんか安心しませんか?
でもその安心感は、家にいるのが当たり前だったときには気づきづらいものなんじゃないかと思います。
家に帰ったら待ってる人がいるとか
周りの景色が実は結構良かったとか
もし今そういうことに良さを感じるのなら、それは色んな経験をしてる一つの証拠なのかもしれない。地元を離れたり、今までしてこなかった経験をしているからこそ、過去と今を比べることができるわけだから。
なければ0から関係性を
どこか物足りなさや寂しさを感じたときに実家に帰ることは一つありだし、
とはいえ、しょっちゅう帰れることもないと思うので、新しくそんな関係性を作って行くのもありだと思います。
多分、一緒にいる時間が長ければ長いほど、誰だってそこそこ深い関係にはなれるんですよね。
それを、0から、新しく関係性を深めていく、というのは面白いチャレンジかも。
特に大学生にとっては、そういう人との関係性につくり方に時間を使うことは”今しかできないこと”の一つなんじゃないかと思います。
p.s. こんな雰囲気のものをつくりたい
https://www.youtube.com/watch?v=EYu2DPCF-d4
p.s.s.
理想は”今しかできないこと”を”これからもできること”にしていくこと 。
「誰でも彼でも出会えたらそれで良い」「とにかく偉くなりたい」とか
人をけなす人は厳しいけど、
『等身大の自分で挑戦』『非日常体験』『淡路島で居場所づくり』
とかにピンとくる人は構想と機会があるのでmessangerとかで連絡ください