"引きこもりたい時"ってあるよねという話
こんばんは!
居場所づくりをテーマに活動中の吉田です。
4月から住む家を探し中
ブログを書いてるところ。
最近、健康に良さそうなので豆乳をめっちゃ飲んでます。
ところで、あなたはこんな経験ありませんか?
「何か動きたくない。 動かないといけないと頭では分かっているけど…」
現在進行形でそうかもしれないし、昔そうだったのかもしれないし、わかりません。
今日はそんな人に向けて書いてみたいと思います。
人それぞれ
僕は今は学生なのでもちろん、普段接するのは学生がほとんど。
そんな中で、ガンガン動いてる人とも、そうでない人とも会います。
日々、高速でPDCAをまわしている人と会うと、「自分ももっと動こう!」と刺激になることもあります。
それとは対照的に
「何か、だらけてしまうんです」
「やらないといけない事があるとわかっているんだけど…」
みたいな話を聞くこともあります。
そんなときに思うのは、「人それぞれだよなあ」ということ。
引きこもることが悪いことだとはあまり思わない
こんな事を書いていますが、僕が今、”引きこもってて良い” と言い訳をしたり逃げ道を作りたいわけではないです。僕自身については、今は引きこもって良いわけがないし、ガンガン動き続けなければいけないです。
でも、他の人に対しては、「何かに踏み切ることに対して腰の重い時もあるよなあ」
と思うんです。
まだやりたい事が見つかっていなかったり、
個人的に何か辛いことがあったり。
“動きたくても動けない”、みたいなことは普通にあると思っています。
だから、人によるけど「動け!」とはあんまり言いたくない。
「宿題しなさい!」と親から言われたら何かやりたくない、となりませんか?
それと同じ感覚かもしれないですね。
動きたいときに動けば良い。
どんなに小さくても一歩は一歩
僕は、その人が0.000001mmでもいいから、
どんなに小さな一歩でもいいから、前に進めばそれで良いと思っています。
人生で、”どこまでいけるか”、は ”どこまでいきたいか” 次第で決めたら良いと思うので、周りがとやかく言う事はない気はします。
別に、30歳で夢が叶おうが、40,50,60歳で夢が叶おうが、構わない。
(「夢」というと、叶わない前提のようなイメージがあるんですけど、そこらへんは色々と考えがあります。これについて書くと長くなりすぎるからまた今度。。)
ただ、人生が終わるときが来たときに、振り返ってみて
“自分でOKをだせるかどうか”、は大事にしたいと思っています。
その時に「良い人生だったな」と思えるかどうかで後悔は生み出したくないなと思います。
色々と考えていくと、20代の過ごし方は大事だというのは間違いなく思うので、動けるだけ動いた方が良いとは思います。でも、そうしなければいけない、ということもありません。
成長は曲線的!?
人の成長って指数関数的に早くなっていくものだと思います。
だから、僕が人のサポートをする時は、そのタイミングを待ちながら、ベストな関わりをし続けるだけ。
とはいえ、いつまでも0.000001mmしか進まないという状況が続くことは無くて、どこかでスピードアップするということは信じています。
どこまで進めたいか
結局、考えてみると、何を目指して、そこに向かってどこまで進みたいか
ということに行き着きそう。。
例えば、電車にのってどこかに出かけるとき、
「何駅先までいこうかな」
「県をまたいでもっと遠くにいこうかな」
とか、
ゲームをするときに、
「どのステージまで攻略しようかな」
とかとか考えることと同じイメージかなと思います。
自分のスイッチは入れたいときに入れたらいいし、あくまでも自分がどうしたいか次第。
僕は、どんなスピードの人に対しても合わせられる人で在りたいのと、
良いスタートダッシュをきるための準備運動ができるような居場所をつくっていきたいと思います。